製本の仕事を30年やって思うこと

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各セクションを10年

たまたまではあるが、現場10年、プラプラ10年、管理10年、これが私の経歴である。大学留年時代に縁あって東京出版機械という会社に丁稚奉公にでた。昌利紙工業株式会社の先代社長(私の叔父)が中綴工場から無線綴を始めるということで私がその部署を任せられることになった。製本という仕事に関しては右も左もわからず、ただ工場に行かされたような状態であった。当時の私と言えばバブル崩壊後も当時はやりの学生企業(イベント主催やデパートの管理会社サポート)など寝る暇もないくらい忙しく過ごしていたが、一般的に時給でアルバイトするものとは違い、少しまとまったお金が入っていた。入っていたというよりは少し大きなお金を動かしていたというのが正解かもしれない。そんな中、「20代前半でこんな大きなお金動かしていいのだろうか?」まわりの学生たちが1か月数万円稼ぐのやっとのところ私は1日でそのお金を稼ぐことに恐怖と罪悪感を覚えた。今思えばランも立てず行き当たりばったりで多くの優秀な方との出会いがそうしただけなのに、なぜかお金を稼ぐことが悪いことと思ってしまったのである。コツコツと働く叔父や父親を見て育った私には環境の違い、職種の違いでこんなに生活が変わるのだということを思い本気で逃げ出したくなったのである。このタイミングが大学卒業時期であったためいわゆる就職活動はしていない。そんな時に叔父から声がかかったのである。正直、丁稚奉公で時給550円であっても特に不満もなく、コツコツ稼ぐとはこういうことだと勝手に満足していた記憶があります。さて、そんな時を過ごし私は無線綴部署を任されたわけですが、どうもしっくりいかない。というのも身内の私がいきなり工場責任者ということで以前よりいた先輩社員たちが面白くなく次々と私の前から去っていった。そしてその度に欠員がでたセクションをやるのである。最初は無線綴オペレーター、次は貼り込み、次は断裁、次は折、次はトライオート、最終的には全部署で人がいなくなった。そしてその度に募集を出し、経験のない20代の子たちを呼んで教えていくのである。私自身がっつり機械に入り込んでスキルを上げる余裕などなく、とりあえず本が作れればいいという感覚であり、逆に教えていった素人の子たちはどんどんスキルを上げていった。そうして5年がたってある程度営業的にも生産現場としてもそこそこの工場に仕上がったと自分なりの満足感から昌利紙工業から独立をしたのである。学生時代の貯えと身内から援助資金でなんかそれなりの工場経営を開始できたのである。開業してから5年、相変わらず現場の一線にたちひたすら現場仕事を覚えていった。今思えばこの時期が一番スキルを上げることができ、お客様からの信頼も得られたような気がします。

プラプラ10年はこの時期から始まります。現場を20%程度にとどめ、残りの時間はお客様との商談、工場内をチェックして回るような時間帯でした。正直、この時期はあまり仕事の達成感もなく、会社経営というものも「若いのに大したもんだ」とか「イケイケでやってるけど大丈夫か?」など周りからは良くも悪く言われ、自分的にはこんなに簡単に世間から注目されるのかと陰ではニヤニヤとしていました。その後は旧態依然とした製本工場、印刷業界スタイルでは他社との差別化が難しいと考え、経営スタイルにこだわり会社の改革を進めていきます。まずは手始めにホームページの開設です。2004年頃だった思いますが、今のような検索システムは確率しておらずドメイン名と会社名を一致させ製本というフレーズをヒットさせないとたどり着かない頃でしたがホームページを作ったことでの満足感と会社のキャッチフレーズとして「製本のコンビニ、24時間いつでも受け付けます」と名乗り集客力を上げていきました。24時間私の携帯電話とポケベルはなりっぱなしであったことを除けば集客としては満足いく出来だったと思います。その後の改革は続きISO9000の取得に尽力します。製本会社としては日本では確か5番目くらいの速さであったため知名度としてもあがりました。ただ私の悪い癖で取得費用のコンサル料金が異常に高いと感じてしまい、コンサルは自分でやる、何なら人の会社も審査するという勢いで審査資格を取得します(2年間限定)。勢いはあったものの自社の現場管理に関しては手を抜くことも多く衰退していきます。

会社整理

会社整理というと当たり障りもなく聞こえますが、ここではお話しできないほど過酷な生活をしいられました。このテーマにご興味ある方は是非お問い合わせから連絡をお願いします。このテーマだけで本1冊かけるくらいのボリュームです。今となっては問題なくお話しできますが、この整理を機会に私のビジネスに対する考え方も変わりました。そして何より私の勉強する時間を与えてくれた何よりも貴重な出来事です。

補助金サポート事業に至るまで

有限会社三富では私のこの経験を土台として、補助金サポート事業を行っています。そのためよくある士業の先生方やその手のコンサル会社様で行うサポート事業とは少しスタイルが違います。もちろん診断士の資格などがあるわけではございません。ただし、補助金申請のストーリー作りや申請レポートには絶大な自信を持っています。なぜなら経験より勝るものはないからです。プロの方と張り合うつもりはございません。もしかすると安心感や信用度ではそちらの方がはるかに上をいくはずです。しかしながら、現場の思いや経営者に寄り添った形で申請書を作ることに関しては是非お任せいただきたい。そして補助金で活用している設備等を実際にお見せできることができます。活用事例を現場で見ることができ、申請⇒採択⇒実績報告⇒その後のケアまでできる会社はそう多くはありません。詳しくはサポートの流れをご覧ください。

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